前回お伝えした通り、私は行動分析学が大好きで、この学問をベースにビジネスしたいと考えています。そこで今回は、そもそも行動分析学ってなにか紹介します。

とても1回では書ききれないので、まずは初歩の初歩から。

なお、行動分析学者からするといろいろ指摘があるかもしれませんが、全く行動分析を知らない人をターゲットに、伝わりやすさを重視して伝えるので、皆さんドラえもんになりましょう(ドラえもんの意味がわからない人は初回のブログを見ればわかります)。

 

行動分析学とは行動環境に注目する学問で、B. F. Skinner(スキナー)という人によって作られました。こういう人

ジャンルとしては心理学なのですが、他の心理学とは全く異なる点が、心や性格などには注目しません。え?心理学なのに心を扱わないの!?

と思われるかもしれませんが、これこそが、この行動分析学の最大の特徴です。

たとえば、かなり多くの頻度で、遅刻してくる社員Aがいるとします。このAにアプローチするとき、一般的な心理学だと、「やる気」「意思」などの言葉を用いて説明することが多いですが、これらはすべて実在しない構成概念です。この他にも一般的な心理学では、「不安」「うつ」「満足度」などの言葉もよく使われますが、これらもすべて構成概念です。

一方、行動分析学はこのような構成概念を使って人の行動を説明することはありません。社員Aの例では、指定の時刻後に来ることで(これが行動)、その後の勤務時間を減らせたりというAにとってメリットが生じているから(これが環境)遅刻する行動が続いているのではないだろうか、などと仮説を立てて分析します。

このように、他の心理学と全く異なるアプローチで分析するので、批判もかなり多い学問です。「行動分析学は人間の意志や尊厳を踏みにじっている」「われわれに心がないというのか!」「人間は見えない心の中も非常に重要だ!」などなど…

現に創設者のスキナーもアメリカでものすごい批判を受けました。なぜなら当時も今も、人間の行動は本人の意思によって、本人の自由に引き起こされていると考える人がほとんどだからです。その中で、スキナーは「え?なにいってるの?人間の行動は環境によって決まっているんだよ」なんてことを発言したものだから、自由の国アメリカでは当然いろんな方面から否定されました。

ここで誤解がないように言っておきますが、スキナーや現在の行動分析家も、人間の自由意思や心そのものを否定しているわけでは決してないということです。ただ、それらを行動の原因や行動を説明するものとして使うことはしないだけです。

ここらへんをもっと知りたいというものずきな方はこの本がお勧めです⇒自由と尊厳を超えて(B.F.skinner, 1971)

意思や心というのは、あるかもしれないし、ないかもしれませんが、どちらにせよ目に見えないし、測定もできません。そんなあやふやな状態でこれらを扱うよりは、まずは見えるし、測定もできる行動と環境に注目しようよ。ということです。

なので、現在心や意思と呼ばれているものが、これから科学技術の発展に伴って、客観的に見えて、測定できるようになったら、行動分析学の対象になるかもしれません。

 

まだまだ書き足りないのですが、とりあえず今回はここまで。

最後に、私は行動分析が好きですが、それはあくまで私の選択なので、それでもやっぱり人間は心を使って分析すべきだ!という人ももちろんいると思います。そのような人に対しても、私は「おい、行動分析やれや、お?」みたいに押し付けたりはしません。私がこのブログでやりたいのは、こういう分析をする学問があるんだよと知っていただき、その上でさあどうしますか?と提案することです。

ではまた。

The following two tabs change content below.