評価という言葉は様々な場面で使われます。

ビジネスでは特に人事や人を管理するポジションでよく使われますね(人事評価とか)。

評価がとても重要というのは多くの人が知っていると思います。

その一方で、どのように評価していいか悩む人もいます。

同じ評価の言葉でも、人によって行動改善につながる刺激として働く場合もあれば、ただの嫌悪刺激として評価した人自体が嫌いになる人もいます。

普段から評価対象者を観察して、行動傾向などを把握できれば一番ですが、中々そうも行かないのが現実です。

特にビジネス場面では、ほとんどが一般成人です。

子供であれば、注目や称賛というABAでは代表的な刺激が強化子として機能する可能性があります。

しかし相手が一般成人であれば、子供以上に何が強化子になるかの幅が大きくなります(これまで経験してきた随伴性が膨大で想定も難しい)。

適切な行動をした時に「よく頑張ったな!」と称賛しても、「思ってないくせに」とか「うるせー」と感じる人もいます。

人の言語は複雑ですので、全く同じ言葉でも、誰が、いつ、どんなトーンで伝えたかによって与える影響が異なります。

加えて組織という枠で考えると、評価される人、1人1人に「この人はどんな刺激が強化子として機能するだろうか」などと上司が分析し、実践することは難しいです。

いくら組織単位で上司の評価言語を改善しようとしてもムリがあります。

そこで、私は評価って絶対必要なのか?と提案したいです。

フィードバックは必要だと思いますが、評価はいらない場合もあるのでは?

いかに適切な評価をするか、にコストをかける前に考えてほしいです。

評価は必要か?

誤解があるといけないので、今回の記事でいう評価について説明します。

ここでいう評価とは人の価値判断が含むフィードバックのことです。

例えば、1ヶ月に5回遅刻した人がいます。

その人に「あなたは今月5回遅刻しました」と伝えるのは評価ではありません。ただ事実を伝えているだけですからね。

「5回も遅刻するのは多い。もう少し減らしたほうがいいよ。」というのは評価です。5回遅刻という事実に対して、多いかどうか、減らすべきかどうかをフィードバックする側が決めてます。

私はどの組織も評価しすぎではないかと思います。

前者のように行動事実を伝えるだけで十分な場合が多いです。

自らの行動事実やパフォーマンス事実が情報性の強化子/弱化子となり、行動改善が見られたケースはいくつも報告されています。

 

*日本ではありませんが、海外では組織行動マネジメント(OBM:Organizational Behavior Management)という学問があり、専門の雑誌もあります。その雑誌のなかではビジネスでの実践例がたくさん乗ってます。

ちなみに、対象者がどれだけ行動したかの情報をフィードバックする手法は「パフォーマンス・フィードバック」と呼ばれています。

 

もちろん、どんな場合も事実のフィードバックが行動改善になるわけではありませんが、必要以上に評価してしまっていないか考えてほしいです。

もし、行動事実のフィードバックだけで改善するのに、評価までしてしまうと、評価する人自体が不快になるリスクがあったり、必要以上の労力をかけてることになります。

1 まずは、行動やパフォーマンスのフィードバックだけで、やってみる。

2 それで改善しなかったら、評価を伝える。

このような順番で考えてみてはいかがでしょうか。

行動やパフォーマンスのフィードバック方法はいくつかあります。

直接言葉で伝える、機械を通して画面で伝える、グラフなどを張り出し伝えるなど。

自らの行動事実について見える形でフィードバックすることは、とても大切です(意外と皆自分の行動事実を把握していないと思う…)。

いきなり価値判断を含んだ評価をしてしまっていないか、思考停止で評価する前に一度今回の内容を考えていただければ幸いです。

ではまた。

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