人は「医学モデル」に慣れ親しんでいる。
ようやっと、携帯が復活しました。
結局、紛失したものは戻ってきませんでしたが、
不幸中の幸いで、紛失日当日の朝、
iCloudにデータがバックアップされていたようでした。
そのため、データなどに関しては、ほぼダメージ無し。
ダメージがあったのは、ふところのみ。
(T T)
いろいろ勉強になりました。
さて、本題です。
「原因」と「結果」について、
人は医学と同じように考える傾向があります。
「行動」に関しても同様。
でも、本当に医学モデルでよいのでしょうか。
★人は「医学モデル」に慣れ親しんでいる。
原因と結果は、医学モデルだとわかりやすく、
人はそれに慣れています。
ついつい、人のどこかに「だらしない因子」
みたいなものがあって、
それがその人の行動を
引き起こしていると考えがちです。
「人間が熱を出すのは、体の中にあるウイルスが原因だからだ」
これが「医学モデル」です。
そして人の行動も同じように考えます。
「遅刻をするのは、その人のだらしなさが原因だからだ」
つい、わかりやすい医学モデルで
考えてしまいがちです。
しかし、体に「だらしない因子」などは
どこにも存在していません。
(「自律型社員を育てる『ABAマネジメント』」より)
遺伝などの影響で、
多少はもって生まれたものはある、
とはいわれています。
しかし、それよりも、
後からの環境によって
形成されてくるものが、
ほとんどなのです。
そして、後から形成されるものは、
その時の環境によって、
適応するために変容するものなのです。
その行動事実の傾向を、
「性格」とか「人間性」という、
まとめた概念で表現しています。
その概念があるおかげで、
行動事実をまとめて伝えられるという、
コミュニケーション上のメリットがあります。
なので、
「あの人はだらしない性格だ」という、
会話自体をすることは、
もちろんOKです。
しかし、
間違えてはいけないのは、
それは決して原因ではなく、
その時点の行動の傾向を
表現しているものだと分かっておくことなのです。
原因をウイルスと同様に捉えると、
内面を何とかしようという対応策を取ります。
しかし、残念ながら、
その「だらしない因子」を
見つけることは出来ないため、
いつまでも改善につながらない、
ということが起きてしまっているのです。
本日の日課 56点(今度はなくさないように)
(日課とは、オリジナルで作製した「行動アシスト手帳」に書かれている毎日やる25項目のうち、何項目やったかを点数化したものである。どんな項目かはナイショ。