「自転車に乗る」は行動か。
2020/03/14
焼き菓子を作ってました。
明日、箱根で彼氏とデートなんだそうです。
で、持っていくとのこと。
そうですか。
晴れるといいね、って言いかけましたが、
明日は最近にはないピンポイントで、雨とのこと。
しかも寒い。
ありゃま。
さて、本題です。
「自転車に乗る」は行動か。
当たり前だ。行動だ。
と思われるかもしれません。
では、これが小学校一年生の「自転車教室」においては、
どうなるでしょうか。
集団の中のほとんどの人が、
自転車に乗れない中では、
「自転車に乗る」は「成果」となります。
ハンドルを持つ、サドルに座る、ペダルに足を乗せる、
地面をける、ハンドルをまっすぐにする・・・などの、
たくさんの行動を、適切に行っていくことによって成し得る成果が、
「自転車に乗る」なのです。
なので、一年生の自転車教室においては、
「はい、では自転車に乗ってください」
というような指示はできません。
しかし、全員が自転車に乗れる集団の中では、
自転車に乗るは「成果」とはならず、
一つの「行動」として取り扱われます。
「自転車に乗って」という指示に対して、
誰もがそれがすぐに実現できるからです。
「提案書を作る」は行動か。
会社の組織において考えてみましょう。
「提案書をつくる」「新規営業をする」「議題をまとめる」・・・
これらは行動でしょうか?
と聞いたら、ほとんどの人が「行動だ」と答えることでしょう。
しかし、先ほどの自転車の例と同様、
まだ社会人一年目、経験が少なく、習熟していない社員にとっては、
「提案書をつくる」「新規営業をする」「議題をまとめる」などは、
たくさんの行動が適切にできて、初めて成し遂げられる成果になるのです。
にもかかわらず、一通り習熟している上司にとっては「提案書をつくる」は、
一つの行動として捉えられているので、
「提案書つくっておいて」という指示が普通にでます。
そして、それがうまくできない社員に対して、
「やる気ないのか」
と、なります。
「成果」であるにもかかわらず。
ほとんどの「行動」は、
筋肉を動かす、というレベルのものが複雑に組み合わさってできています。
しかし、毎回いつも、それを一つひとつ分解して「言葉」にするには、
伝達のコミュニケーションとして「節約」できないために、
現実的ではありません。
同じレベルで身につけている集団の中では、
組み合わさってできる「成果」を「行動」として捉えた方が、
スムーズに言語によるコミュニケーションが取れるようになります。
しかし、組織の中においては、
この習熟度がバラバラであるがために、
「行動」と「成果」が入り交ざって、
コミュニケーション不全が起こるのです。
「うちの部下はやる気がない」
「うちの上司はマネジメントができない」
というような、
不毛な対立になってしまったりします。
何気なく使う、
あなたの中での「行動」。
それは、相手にとって本当に「行動」なのかどうか、
ちょっと考えてみてはいかがでしょうか。
本日の日課 52点(私にとって、ブログを書くのはいつも成果)
(日課とは、オリジナルで作製した「行動アシスト手帳」に書かれている毎日やる25項目のうち、何項目やったかを点数化したものである。どんな項目かはナイショ。)