社労士開業記その1、私はフリーターでした。
2018/06/30
毎日、ワールドカップ観戦で忙しいですね!
いよいよ明日は日本VSセネガル。
その後の、深夜3時からのコロンビアVSポーランドを観ようかどうか悩み中。(観る)
さて、本題です。
★社労士開業記その1、私はフリーターでした。
(ちょっとタイトルの修飾変えてみました。)
まずは、社会人になったときのことから振り返ります。
あ!
開業記って、全部で何回ぐらいがよいのでしょう。
5回ぐらい?
10回?
一年?
まあ、とりあえず、進行に応じてでしょうかね。
社労士の試験に合格できたのは、平成14年の試験でした。
なので、いまから16年前。
当時は、住宅メーカーの営業をしていました。
その時30歳。
そうそう、社労士で廃業率が高いのは、
30代男性、家族持ちとのこと。
ピッタリ。
子ども、生まれたばかりでした。
まあ、でも、何とか廃業せずにやってこれているので、
多少は、そのような立場の人のご参考になれば、と思っています。
卒業後、配膳のバイトに。
クライアントの企業様にはナイショですが(バレてるけどね)、
私は学校を出て、そのまま就職をせず、フリーターでした。
当時は、「フリーター」というような言葉はなく、
ただのプータロー、いや、仕事をしてはいたので、「アルバイター」でしょうか。
大学時代に、オープンしたばかりのホテルで、
結婚式や宴会の仕事のバイトがあるということで応募して、
この仕事が楽しく、卒業後も、そのままそのホテルでバイトを続けてしまいました。
「配膳」というバイトで、
土日は結婚式中心、平日夜は宴会、昼がセミナーや会議などでのコーヒー出しなど。
たまに、いろいろと他のホテルやレストランなどにも行かされたりして、
たくさん働こうと思えば、いくらでも働くことができたのです。
そして、時給もそこそこ上がっていき(当時で1400円ぐらい)、
なんと多い時には、月に40万以上になることも。
大卒のまわりの初任給は18万ぐらいだったと思いますので、
「好きな仕事やっていて、それなり稼いでればいいじゃん」
と、今思えば馬鹿だなあ、と思うようなことを言っていたかと思います。
その後、妻と知り合い、
なんだかんだで結婚することになり、
アルバイトのままではまずい、就職をしないといけないと、
やっと真剣に考え始めたわけです。
で、フリーター時代にお世話になっていた、
妻の上司の男性が、ちょうど同じ時期に転職をしたので、
相談などにのってもらって、その方と同じ業界に転職することになったのでした。
それが、「住宅営業」の正社員。
あまりそのようにみられないのですが、
ここで営業マンとなったのです。
・・・長くなりましたので、
続きは次回。
本日の日課 56点(ニーズないけど続けます。なぜならネタ切れ・・・)
(日課とは、オリジナルで作製した「行動アシスト手帳」に書かれている毎日やる25項目のうち、何項目やったかを点数化したものである。どんな項目かはナイショ)