一般的な捉え方と行動分析的な捉え方の違い。
ベビースターの新キャラ、皆さまの評価はどうでしょうか。
個人的には結構いいかも、です。
デザイナーは非公表だそうですが、あれです、あれ。
♪でっこぼっこフレンズ♪(知らない?)
さて、本題。
いままでブログが滞っていたことなど全く触れずに進みますよ。😁
今日は水曜日ですので、行動分析学の話題。
テーマは、「一般的な捉え方と行動分析的な捉え方の違い」です。
まずは絵をご覧ください。
これを一般的な捉え方と、行動分析学的捉え方で見てみましょう。
【一般的な捉え方】 | 【行動分析学的な捉え方】 | |
★見方 | ・A君がふざけている (主観的・抽象的印象) |
・A君が声を出して走っている (客観的・具体的事実) |
★原因 | ・A君はいたずらっ子だ ・A君は心に問題ありそうだ (個人の性質に着目) |
・A君をみんなが注目している ・A君が騒ぐと授業が中断している (環境の変化に着目) |
★改善の手法 | ・騒ぐのはダメ、静かにしなさいと言う(行動を強制) ・愛情をもって接するようにしようとする (目に見えないものへのアプローチ) |
・周りが注目しないようにする ・授業を中断しないようにする (行動後の環境を変える) |
こんな感じ。
これくらい、違います。
A君はふざけているのかどうかは分かりません。それは見る人の主観的な印象です。
心や性格が原因がある、とすると循環理論に陥ります。
「A君はなぜふざける?」⇒「いたずらっ子だから」⇒「なぜいたずらっ子だと思う?」⇒「教室でふざけているから」⇒以下循環。
「A君はなぜふざける?」⇒「心に問題があるから」⇒「なぜ心に問題があると思う?」⇒「教室でふざけているから」⇒以下循環。
言動をみて、レッテルを貼っているだけなのですが、いかにもそれが原因のように捉えてしまうのが循環理論ですね。
改善策で「もっと愛情を」というようにすると、うまくいけば「愛情が届いた」だし、うまくいかなければ「まだまだ愛情が足りない」という話をするだけになり、結果論で終わってしまいます。
これは教室での子どもの例ですが、
職場でも非常に同じようなことが起きています。
うまくいけば、「やる気があった」「意識が高くなった」で、うまくいかなければ「まだまだやる気が足りない」「まだまだ意識が低い」と結果論でいくらでも言えるのです。
もちろん、行動分析学が万能であって、全てだとは思ってはいません。
ただ、一般的な見方やこのようにうまくいかないケースが多い中で、一つのアプローチ手法として行動分析学は有益なんだと思っています。
ではまた。
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本日の日課 68点 (明日は一日休みだよ!)
(日課とは、私のオリジナルで作製した「行動アシスト手帳」に書かれている毎日やる25項目のうち、何項目やったかを点数化したものである。どんな項目かはナイショ。)