「一般的見方」と「行動分析学的見方」の違い。
2020/02/08
よっしゃー!
4月に「ABA(応用行動分析学)マネジメント」に関するセミナーをさせていただくことが決まりました!
これは嬉しい。
日時、場所など正式に決定しましたら、
またご案内しますね。
さて、本題です。
「一般的見方」と「行動分析学的見方」の違い。
あれ、前段と本題が珍しくつながっていました。
良い傾向だ。
で、そのABA(応用行動分析学)マネジメントセミナーで、
良くやるワークの一つです。
「行動の原因」をどのように捉えるか。
一般的には、人の行動は、その人の心や気持ち、
感情などが先行してあり、それが引き起こすと思われています。
当たり前すぎて、ここに疑問を持つ人はあまりいなく、
そうではない、などというようなら、
「大丈夫?この人」とか「なんだか冷たいこと言う人」などと思われてしまいます。
地動説を唱えたコペルニクスのように。
しかし、ABA(応用行動分析学)的な見方では、
行動の原因は内なる目に見えないものにあるのではなく、
環境の変化にある、と考えます。
そうではない、というのです。
人類の長い歴史において、ほんのちょっと前の16世紀までは、
天動説が当たり前で、地球が動いているなんて唱える人は非常識でした。
人が風邪を引くのは、神様の罰だ。
風がやまないのは、天が怒っているから生贄が必要だ。
ほんの少し前は、そちらが当たり前の考えで、
ウイルスが原因だ、気圧の差だなど言う人がいたら、
それは神への冒涜だ、などと「おかしい人」と思われていたのです。
目に見えないものを原因にしている場合、
そうではない原因はなかなか受け入れがたいものです。
ましてや「人の心」ほど尊いものはなく、
これが原因でない、と言おうものなら・・・なのです。
でも、大事なのはなにか。
より、その人の生活の質をよくすることなのです。
生贄を出すより、神に祈るより、
薬を飲んだり、天気を予報する方が、
よりその人の生活の質が高まるのです。
心を原因にして、その人が不幸なままより、
行動を分析して、よりその人の行動を望ましいものにして、
生活の質をよくする。
それができるのが、ABA(応用行動分析学)であり、
だからこそ、この学問に取り組んでいく価値があるのです。
なんて、えらそうなことまではセミナーでは言いませんが(いろいろな価値観が人にはあるからね)、
そんな気持ちで話しているのは間違いなく、
感じ取ってもらえる人が増えるといいなあ、
と思っています。
本日の日課 56点(おっと、ちょっと勇み足的なブログ)
(日課とは、オリジナルで作製した「行動アシスト手帳」に書かれている毎日やる25項目のうち、何項目やったかを点数化したものである。どんな項目かはナイショ。)